2009年07月01日

国の経済の状況について

国民経済計算(こくみんけいざいけいさん)とは、一国の経済の状況について、生産、消費・投資といったフロー面や、資産、負債といったストック面を体系的に記録したもの。英語ではSNA (System of National Accounts) 。

国際連合は、各国の経済活動を比較できるよう統一した基準を定めており、国民経済計算はこの基準に基づいて作成されている。最新の基準は1993年に採択された93SNAで、日本は2000年に国民経済計算を93SNAに基づく指標へと改定した。国勢調査を初めとする様々な一次統計と、統計学を利用した推計を駆使した二次統計。取り纏めは内閣府。
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国民経済計算では、生産と所得の分配状況や、所得をどこから受け取りどこ向けに消費したか等を見ることができる。

なお、経済成長率の指標としてよく使われる国内総生産 (GDP) は、93SNAの中の項目の一つ。

公表時期
国民経済計算の全体系は、当該年度終了の2年後に年報の形で発表される。しかし、これでは直近の景気動向を把握することができないため、別途四半期ごとの国内総生産を推計し、当該四半期終了の約一ヶ月半後に第一次速報が、約二ヶ月半後に第二次速報値を発表している。
12月中旬に前年度の国内総生産の確報が発表されるが、その後も新たな統計情報の追加や推計方法の変更などによって過去の公表値に修正が加わることがある。

2009年06月13日

宇宙の端から端までの距離

宇宙という言葉の定義は、地球、それを含む太陽系、それを含む銀河系―と、あらゆる天体の存在する空間、存在し得る限りのすべての物質を含む空間のことである。もし、宇宙の端というものが存在するとすると、それが端なのだから端の向こう側は宇宙ではない。しかし、定義より、それも宇宙であるという矛盾が生じるため、宇宙に端は存在し得ない。

地球上から見ることができる宇宙の大きさとは、我々人間が物理的に観測可能な宇宙の時空の最大範囲を指す。宇宙は膨張し続けているため、宇宙の大きさを表現するにはいくつかの単位がある。

地球から、人類が光を含む電磁波により観測可能な宇宙の果てとは、我々が観測できる光のうち、最も古い時代に光が放たれた空間を示す。この空間から光が放たれたとき、つまり約137億年前(宇宙の晴れ上がり直後)この空間は地球がある位置から地球を中心とする全方向に宇宙論的固有距離において約4000万光年離れたところにあった。そしてこの空間は当時地球の位置から光の数十倍の速度[1]で遠ざかっていた。この空間までの現在の距離である共動距離(Comoving distance)は、約470億光年[2]と推定されている。[3]宇宙の晴れ上がりの直後から約137億年の間に、宇宙は約1100倍程度膨張したと考えられる。この空間は現在、光速の約3.5倍の速度で地球から遠ざかっており、[4]かつ宇宙が生まれてから現在に至るまで常に超光速を保っている。つまり我々が現在電磁波によって観測できる天体の中には、その天体が生まれてから現在に至るまで常に超光速の後退速度となるものが存在する。

天体から放たれた光が地球にたどり着くまでの時間に光速をかけたものは光行距離(Light travel distance)とよばれる。[5]これは光が地球に届くまでの間に、光の旅した道のりを表す。光行距離では、電磁波により観測される宇宙[6]の果てから地球までの光の旅した道のりは約137億光年と推定される。これは光速に宇宙の年齢をかけたものだが、この値は先に述べた2つの距離(470億光年、4000万光年)と値が異なる。なぜならば、光が地球に届く間に宇宙が膨張し、そのため光の道のりが延び、また光を放った空間が遠ざかるからだ。つまり光行距離はある時刻における空間上の2点間の距離を指し示すものではない。天文学では光行距離を天体までの距離とみなすことが多いが、それは現在の天体までの距離や、天体が光を放ったときの天体までの距離を示すものではない。それはあくまで、我々に届く光が旅した道のりである。
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まとめると、今我々が見ることができる最も背後にみえる光は、約137億年前に約4000万光年離れた空間から放たれた光である。そしてその空間は現在470億光年先にあり、光は137億年かけて137億光年の道のりを旅してきたということである。わずか4000万光年の距離を光が進むのに137億年もの時間を費やしたのは宇宙の膨張が地球への接近を阻んだためである。これは、流れの速い川を上流へ向かう船がなかなか前に進めないことと似ている。また、宇宙の膨張は一般相対性理論の範疇であるため、膨張により地球を基点としたときの、地球から離れた場所にある光の速度が変化しても特殊相対性理論における「光速度不変の法則」と矛盾しない。

我々の観測可能な領域を超える宇宙は、共動距離的な意味の場合、インフレーション理論に基づき、より広大であろう(光年単位を用いても億・兆といった日常生活で用いる数では表現できず、1030光年等といった指数表記が必要な大きさ)と予想されているが、いまだその大きさが有限なのか無限なのかはわかっていない。

また光行距離的な意味では、137億光年以上の距離では宇宙の晴れ上がり以前となるため光が直進できず、地球への旅ができない。つまりそのような距離そのものが存在しないことになる。

2009年06月08日

アヌサラ・ヨガ(Anusara yoga)

1997年にニューヨークでジョン・フレンド氏が創設したヨガである。アヌサラとはサンスクリット語で「流れるままに」「大いなるものに身を任せて」の意味がある。現代医学の解剖学や生理学に基づいて古典的なヨガと融合した合理性の高いヨガであり、米国のみならず、欧州、オーストラリア、香港など世界各地でアヌサラ・ヨガを学ぶ人が急増中である。日本でも「スタジオヨギー」を中心にいくつものヨガスタジオがあり、若い女性に人気のヨガのひとつになっている。ヨガのポーズにアライメントを正す動きを取り入れていることから、怪我が少なく、さらに継続した訓練により、より力強いポーズが無理なくできるようになる。体を動かすヨガ(いわゆるハタヨガ)のひとつであるが、体と心のあり方も重要視していることが、現代人の求めている点に一致しており、それもアヌサラ・ヨガの人気の要因である。
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伝統的なハタ・ヨーガにフィットネス等の要素を取り入れ改良を加えたものが、現代人に人気である。

アシュタンガ・ヨーガをベースにしたヨーガで、アーサナを通して肉体に負荷をかけることにより脂肪を燃焼させ、美しい肉体を作ることを目的として主にアメリカで開発された。伝統的ハタ・ヨーガが、1つのポーズをとったまま一定時間静止した上で次のポーズに移行するのに比べ、アシュタンガ・ヨーガをベースにしたパワー・ヨーガは、各種ポーズをストレッチのように一連の流れの中で行うのが特徴である。また、アシュタンガ・ヨーガに比べ、1つのポーズの静止時間は長く、この点では伝統的なハタ・ヨーガの要素も取り入れられている。もっとも、その目的はハタ・ヨーガとは異なり、アイソメトリックな運動によるフィットネスが主な目的。過度な負荷は乳酸を増加させるだけでなく、腰痛、関節痛などを引き起こすことが指摘されていることから実習には注意が必要。肉体的に健康な若者に人気がある。ハリウッドスターを中心に一大ブームとなり先進諸国に広がったことから「ハリウッド・ヨーガ」ともいう。

2009年04月25日

カッパドキア

カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)とはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。

古代の地理においてCappadocia (「美しい馬の地」を意味するペルシア語:Katpatukに由来、トルコ語:Kapadokya、ギリシア語:Καππαδοκία)は、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウルス山脈から「ユークシン(Euxine、すなわち黒海)」までのすべての地域を支配した。この意味でのカッパドキアは、南ではタウルス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。だが、その境界を正確に定義することは不可能である。その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられている。
カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡る。そこでは、2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセスについて3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として現れている。地方についてのこれらの一覧の中で、古代ペルシア語での名称はKatpatukaであるが、ペルシア固有の言葉でないことは明らかである。エラム語とアッカド語版の碑文も、類似の名称を含んでいる。

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ヘロドトスは、カッパドキア人という名称はペルシア人(しかるに、彼らはギリシア人によって「シリア人」「白いシリア人」(Leucosyri)と呼ばれた)によって用いられたと伝えている。 彼が言及したカッパドキアの部族の一つはw:en:Moschoiであり、彼らはフラウィウス・ヨセフスよって、旧約聖書の人物でヤペテの息子w:en:Meshech に結びつけられた

2009年04月07日

技術の発展に伴って様々な音声処理系

1980年代後半・1990年代前半 [編集]
この時期は、技術の発展に伴って様々な音声処理系が登場した時期であり、その中心となったのは正弦波を基に乗算を含めた複雑な演算で波形を合成するFM音源や、任意の波形を使用できるPCMであった。PCMはファミリーコンピュータにも搭載されていた例があるように80年代前半にも見られたものであるが、記憶容量・処理速度的に本格的な実用段階に達したのがこの時代である。同時発音数も増加し、10音を越えるものも珍しくなくなった。こうした高性能な音源によって、音の自由度が格段に増し、ピアノやトランペット等実際の楽器に近い音を出すことも可能になった。とは言え、当時はまだ発展途上の部分も多く、そのためこれら新音源と従来のPSGの組み合わせで各々の弱点をカバーし合う処理系なども多く見られた。

家庭用ゲーム機やパソコンでは、PCエンジンのCD-ROM?など、ディスクメディアを採用した一部のゲームにおいて、CD-DAトラックとして音楽を収録する手法[4]も使われた。

この頃の楽曲の特徴としては、音声処理系の向上によって得られた新しい音色やアンサンブル方法に主眼が置かれていることが多いという点が挙げられる。いかにサウンドを豪華にしようとしても限界があった80年代前半とも、誰でも簡単に高音質を手に入れられる現在とも異なり、この時期は音源性能やサウンドプログラマの技量が大いにサウンドの質に反映され得る状況にあり、そのためサウンドにこだわりのある制作者達がより高品質なミックスを目指してしのぎを削っていったのである。その結果、80年代前半と大差ないサウンドのゲームもあった一方で、優れたサウンドプログラミングによってオーケストラに迫る様な曲も作り出された。例えば古代祐三は『イース』の頃よりFM音源を駆使しその性能を余すことなく使ったBGMを作成した。また後年古代によるスーパーファミコンで発売された『アクトレイザー』はオーケストラを髣髴とさせる高品質なもので、その当時の水準とは比べものにならないレベルの高さに『ファイナルファンタジーIV』の開発スタッフは衝撃を受けたという[5]。

その音源構成はゲームセンターで聴き取れる音にも大きく変化を与える。FM音源は金属的な音を発音可能だが多用すると曲全体の中域が薄くなる。またPCMで人声を発音させる使い方も増え、「人声を目立たせBGMは脇役に回る」音響手法がカプコン『ストリートファイターII』の大ヒット以降対戦格闘ゲームを中心に多用され、それとともに業務用ゲームでのBGMの多くは影が薄れていった。しかしそのような状況の中でもFM・PCM音源を用いてメロディーを聴かせる既存の手法で作った曲も少なからず存在した(ナムコ『ワルキューレの伝説』『コズモギャングス』シリーズ他、タイトー『ダライアス』『ガンフロンティア』各シリーズ他など)。

制作体勢も細分化され始め、PCMを中心に用いる楽曲制作現場においては、音素材データと曲(譜面)データが独立してきたために、作曲家とは別に音素材を担当する役職も登場した。「サウンドエンジニア」などと呼ばれる。この役職は作曲家に代わりハード上で鳴る音素材の作成を行う。作曲者がゲームハード外の環境(シンセサイザなど)で作成した音素材をもとにする場合と、エンジニアがあらかじめ音素材を用意しておく場合がある。サウンドプログラマがこの役割をかねている場合もある。

また、冒頭やエンディングにおいてビデオクリップと共に主題歌を挿入する演出が取り入れられ始めたのもこの頃である。『天外魔境』シリーズや『ときめきメモリアル』などは特にその主題歌も多くのファンに受け入れられた。詳しくは下記主題歌の欄を参照。

なおサウンドトラックにおいては、ゲーム基板から直接曲を収録したオリジナルバージョンの他、曲を他の楽器などで再構成する「アレンジバージョン」が同時に収録されるようになる。初期はMIDI音源を用いた、デスクトップミュージック(DTM)に類するものが多かったが、ギターなどの生楽器の導入を経て、各メーカーがアレンジ専門のバンドを有するまでに至る。1990年に入ると、ゲームミュージックフェスティバルというライブイベントが毎年開催され、最盛期には日本青年館2DAYSで6組のバンド・ユニットがライブを繰り広げた。

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2009年03月23日

地方鉄道法

地方鉄道法(ちほうてつどうほう)は、地方公共団体又は私人が公衆の用に供するために敷設する地方鉄道(軌道法により管轄される軌道を除く)の敷設・運営について規定した日本の法律である。1919年(大正8年)4月9日に公布、同年8月15日に施行され、鉄道事業法の施行により1987年(昭和62年)4月1日に廃止されるまで日本の民営鉄道の根拠法として長くその役割を担い続けた。

地方鉄道法が適用された鉄道路線は地方鉄道線あるいは地方鉄道と呼ばれていた。
当法は全45条からなり、適用される鉄道事業者を「地方鉄道会社」と呼称し、前身法同様その敷設のために提出すべき書類の内容など手続の次第や免許の取扱い、設備の規定とその扱い方、所轄官庁の監督範囲などを規定していた。1953年(昭和28年)までは、軽便鉄道補助法の継承法令である地方鉄道補助法が存在し、政府から補助金が下りるようにもなっていた。

民営鉄道に対する法律はこれ以前にも明治時代に制定された私設鉄道法と軽便鉄道法の2法が存在した。しかし私設鉄道法は敷設免許と会社の存在は一体と考えて会社の設立からかなりの負担を強いていたばかりか、会社経営や鉄道運営に対してこと細かに規定を行い、政府の統制色を強く打ち出した厳しい内容の法律であったため、鉄道国有法による私鉄の買収後、事業者の新規設立を阻害することになった。軽便鉄道法はその打開策として極端に手続きを簡単にする法律として施行されたものの、今度は新規はおろか既存の事業者までもがそちらに流れ、逆に私設鉄道法の首を絞めることになってしまった。

このような歪んだ状態を是正するために、私設鉄道法と軽便鉄道法を廃止し、再構成して制定されたのが地方鉄道法である。当法の規定には私設鉄道法・軽便鉄道法の規定を引き継いだものもあるが、多くの条項は私設鉄道法の二の舞とならないように細かい規定を避けるとともに、政府の権限を弱めて会社の自主性を尊重するように改められている。ただし政府買収に関する規定や罰則の一部は、私設鉄道法のそれを受け継いでおり、完全に統制色がなくなったわけではなかった。

これにより民営鉄道の根拠となる法令は一本化され、当法は多くの私鉄の根拠法となった。ただし都市部の私鉄の中には私設鉄道法時代の1905年(明治38年)に開業した阪神電気鉄道のように、より規制の緩い軌道法に準拠して路線を敷設し、長いこと「軌道」のまま変更しなかった事業者も少なくなく、すべての民営鉄道が当法に準拠したわけではなかった。また京王電鉄のように、前身の京王電気軌道が延伸の際に関連会社・玉南電気鉄道を作って補助金目当てで地方鉄道として開業したものの補助金が下りなかったため、結局合併して軌道化、さらに地方鉄道化という複雑な経緯をたどった路線もある。

このようにして当法は大正時代から戦争を超え、日本国憲法下でも根幹法としての役割を果たし続けたが、国鉄の分割民営化に伴い、当法が前提とする鉄道の「国有」と「民営」の枠組みがなくなることから廃止・代替が行われることになり、1986年(昭和61年)12月5日に鉄道事業法が公布された。そして翌1987年(昭和62年)4月1日、鉄道事業法の施行と入れ替わりに、国鉄の消滅と運命をともにして69年間という長い歴史に幕を下ろした。
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規定内容 [編集]
第1条
法の適用範囲についての規定。基本的に軌道と専用鉄道を除くすべての民営鉄道に適用すると規定している。このような規定は前身法でも存在したが、地方公共団体や個人による敷設をも対象にしたのはこれが初めてである。
第2-4条
地方鉄道の規格に対する規定である。人力・馬力の使用禁止、軌間に1067mm(3ft6in)を基本としながらも、標準軌や762mm(2ft6in)を認めること、また道路への敷設を原則禁じることが規定されている。前身法、特に私設鉄道法では特別の場合を除いて原則1067mm軌間のみが認められていたのと大きく異なる。
第8条・第10条
地方鉄道会社の資産管理や会社の合併に関する規定であり、設備の担保化についての規定と合併についての規定を含む。第5-7条、第9条は削除されていた。
第11-14条
免許と認可を受けるための手続きに関する条項である。免許の取得により初めて会社の設立ができると規定し、会社の設立に関する書類まで提出させていた私設鉄道法と違い、設立には踏み込まず純粋に鉄道敷設のための書類のみを提出することを規定している。
第15-17条
鉄道施設の定義と敷設工事に関する規定。簡素化されているが私設鉄道法から受け継がれた事項である。
第18-19条
免許の譲渡と失効に関する規定。譲渡の権利を認めるとともに、期限までに工事施行認可申請を行わなかった場合、工事施行認可を受けられなかった場合、工事期限までに着工しなかった場合、営業廃止となった場合に免許失効となる旨が規定されている。私設鉄道法には譲渡の規定は存在せず、失効については同様の趣旨の規定は存在したが条件は「期限内に工事を始めない場合」「期限内に竣工しない場合」と大雑把であった。
第20-28条
地方鉄道会社に対する監督官庁の監督権限について定めたもので、私設鉄道法に存在した運賃の変更を命ずることができる規定や賃率に関する規定などが廃止され、残りの条項も骨子は残してあるものの整理されている。第29条は削除されている。
第30-36条
政府買収に関する規定である。公益上必要と認めた場合は政府が路線を買収できるとするもので、本免許取得後25年経過後の買収権発生の規定がなくなった以外は私設鉄道法時代とあまり変わっておらず、前身法の統制色が残された形となった。
第37-40条
罰則である。このうち第37条は法に反した場合、免許を取り消すだけでなく、政府が取締役や役員を解任し、政府または別の地方鉄道会社へ営業を強制委託させるとする規定で、私設鉄道法にあった規定がそのまま横滑りした条項であった。買収の規定ともども、前身法の色が残った条項である。なお第40条の規定により、第38条・第39条は地方公共団体の運営する鉄道には適用されなかった。
第41-45条
いわゆる附則であり、前身法の廃止とそれに準拠した事業者・免許の扱いについて規定している。

削除条項 [編集]
第5条-第7条
私設鉄道法に存在した株式・資本金に関する条項で、設立に関する条項が軒並み破棄された中で受け継がれた。制定後も複雑な改正が加えられたが段階的に削除。
第9条
所轄官庁の許可がなければ兼業を不可とする規定。1929年(昭和4年)に削除。
第29条
鉄道を軍用に供する義務を負うとする規定。私設鉄道法に存在した条項が受け継がれたものであった。日本軍が解体され、日本国憲法が施行された後の1948年(昭和23年)に削除。

2009年03月08日

第2次百年戦争

第2次百年戦争(だいにじひゃくねんせんそう、Second Hundred Years' War、1689年?1815年)は、ヨーロッパ内の国境紛争と王位継承、主に北アメリカ大陸を舞台として南アジア・アフリカをふくむ海外植民地の争奪、そして、それらに起因するアメリカの独立・フランス革命・ナポレオン帝国を背景にイギリス(イングランド)とフランスの間で繰り広げられた一連の戦争の総称である。イギリスの歴史家J.R.シーリーの命名による。一連の戦争の結果、イギリスが優位に立ち、後世「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の時代の基礎を築いた。
マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

イギリス(イングランド)とフランスの間の戦いであったこと
期間が百年余り(17世紀末葉から18世紀全体にわたり、さらに19世紀初頭)に及んでいること
以上の2点により、中世末の英仏百年戦争(1339年?1453年)になぞらえて呼称される。両者はともに、特定の戦争を指すのではなく、当事国同士の一連の戦争、あるいは戦争と休戦とを繰り返している状態そのものを指す呼称である点でも共通している。イギリスの歴史家ジョン・ロバート・シーリーが『英国膨張史』(1883年)のなかで名づけたのが始まりだとされている。

1571年にレパントの海戦でオスマン帝国の海軍を撃破し、同年マニラを建設、さらに1580年にはポルトガルを併合して新旧両大陸に広大な植民地を有し「太陽の沈まぬ国」とよばれたフェリペ2世(在位:1556年 - 1598年)時代のスペインだったが、1588年にはエリザベス女王(在位:1558年 - 1603年)統治下のイングランドに上陸作戦を企てたものの、アルマダ海戦で敗北を喫した。イングランドでは1600年に東インド会社が結成され、こののちマドラス(1639年)、ボンベイ(1661年)、さらにカルカッタ(1690年)を拠点にしてインド経営に乗り出した。北米大陸では1607年ヴァージニア会社によってヴァージニア植民地がつくられ、1619年にはタバコ・プランテーションのためヴァージニア植民地に黒人奴隷を輸入した。

オランダの勃興
いっぽう15世紀以来ハプスブルク家の所領で、カルロス1世(在位:1516年 - 1556年)・フェリペ2世の時代を通してスペイン領となっていたネーデルラントでは1568年より八十年戦争がはじまった。これは無敵艦隊の敗北とともにスペイン没落の契機となった。それに代わって世界の海上権を握ったのが1581年にスペインからの独立を宣言し、三十年戦争後のヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約、1648年)で正式に独立が承認されたオランダ(ネーデルラント連邦共和国)であった。

オランダは1602年にオランダ東インド会社を設立して、ジャワ、スマトラ、モルッカを植民地とし、香料貿易をさかんにおこなって、その拠点をバタヴィアに置いた(1619年)。さらに、台湾南部のゼーランディア城(1624年)、北米のニューアムステルダム(1626年、西インド会社の設立は1621年)、南アフリカのケープ植民地(1652年)、南アジアではセイロン島のコロンボ(1656年)などを拠点に海外に勢力を拡大する。これによってアムステルダムはリスボンに代わって西ヨーロッパ最大の商業・金融都市として発展した。アベル・タスマンによる南太平洋探検(1642年 - 1644年)もおこなわれ、日本に対しては1609年に平戸に商館を置き、1639年のポルトガル船来航禁止(鎖国の完成)以後はヨーロッパで唯一の貿易国として対日貿易を独占した。

英蘭の抗争とオランダの転落
アンボイナ島における英蘭の領土を描いた銅版画(1655年)その間、イングランドでは処女王エリザベスに後継者がいなかったことから、スコットランドよりステュアート家のジェームズ6世をイングランド王として招いた(ジェームズ1世、在位:1603年 - 1625年))。しかし、王権神授説の信奉者である王と議会とはしばしば対立し、1621年には「議会の大抗議」が起こって、このとき大法官フランシス・ベーコンも告発されている。なお、1623年にはアンボイナ事件が起こってマラッカ以東の東南アジア・東アジアのイングランド勢力はオランダ勢力によって駆逐され、同年、平戸商館を閉鎖して日本との交易からも撤退している。これ以後、イングランドは既述のとおりインドへの進出に専念するようになる。

次のチャールズ1世(在位:1625年 - 1649年)の代になっても権利の請願(1628年)、スコットランド反乱(1639年)、議会の大諫奏(1641年)など政治の混迷は続き、王と議会の対立はついに内戦へと発展(ピューリタン革命)、1649年には国王チャールズ1世が処刑されてオリバー・クロムウェルによる共和政が始まった。

クロムウェルは、さまざまな特権や産業統制を廃止して商工業の発展に努力し、なかでも1651年にはオランダの仲介貿易における覇権の打倒を企図して航海条例を発布し、英蘭戦争|(第1次、1652年 - 1653年)を引き起こしてオランダの海上権に打撃を与えた。

王政復古後、イングランド軍が北米オランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことを発端として、チャールズ2世(在位:1660年 - 1685年)を戴くイングランドとヨハン・デ・ウィット率いるオランダとの間で第2次英蘭戦争(1665年 - 1667年)が起こった。戦争の結果、ニューアムステルダムはイングランド領となり(現ニューヨーク)、オランダは北米における拠点を失うこととなった。

これにより、オランダは大西洋の海上権を失い、転落傾向をみせるが、その理由としては以下の諸点が考えられる。

オランダの主力商品であったアジアの香辛料の人気が落ちたこと
イングランドの主力商品であったインド産の綿布(キャラコ)が大流行しはじめたこと[1]
3次にわたる英蘭戦争とフランスによるネーデルラント継承戦争(南ネーデルラント継承戦争とオランダ戦争)で国力を消耗したこと
依然として豊かなオランダ資金がイングランドの産業に投資されるようになったこと

2009年02月19日

コズミック・イラ (Cosmic Era、C.E.)

コズミック・イラ (Cosmic Era、C.E.) は、アニメ『機動戦士ガンダムSEED』及び『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』と、その関連作品に登場する架空の紀元。
リティ ハーフタイ ラサSEO ナビみさわ プローブ いきな オストミー ゼロワン フェイ ユータ メイス ドッグレ オール のんき フィジー ソニア ジューサ トハギ コート ナーグプ ちょくん ロイヤ フラック カスタマー ポンチ 影ふみ ニップル ハンブル 時代屋 ドッキン オンフ タウン むほん ブロード ジルサン パレタイ セリュ すぺあ トレッド ディベー ディーズ フラワー レジャ フォーマ シランレン メゾン お手玉 デモクラシ 竹てっぽ ダボス

再構築戦争(Reconstruction Warまたは第三次世界大戦)の終結と同時にそれまでの国家の枠組みが大きく変わったのを機会に、国連の主導下で新暦として統一暦「コズミック・イラ(C.E.)」が制定された。なお、元年と設定されたのは「最後の核」(中央アジア戦線で核兵器が使用される)が使用された年であり、制定時がC.E.9年となるためC.E.1?8年は歴史上にしか存在しない。

再構築戦争(第三次世界大戦)
西暦年代末に各地で民族紛争や宗教紛争が激化し、なおかつ石油資源の枯渇や環境汚染の深刻化、世界不況が起こり、世界各地で代表勢力による分割が行われ、世界各地でブロック化が進む。いわゆる国家統合・再編を目的とした戦争である。

C.E.1年には中央アジア戦線(カシミール地方)において核兵器が使用される「最後の核」と呼ばれる事件が起こる。

C.E.9年にR.C.Warが終結。

アメリカ・カナダ・イギリス・アイスランド・アイルランドによる大西洋連邦[1]
ロシア・EU諸国によるユーラシア連邦[1]
日本・中国・韓国・北朝鮮・モンゴル・台湾による東アジア共和国[1]
ラテンアメリカ諸国による南アメリカ合衆国
北アフリカの国々によるアフリカ共同体
アフリカ大陸南部の国々による南アフリカ統一機構
スカンディナヴィア半島の王国によるスカンジナビア王国
中東・アラビア半島の国々による汎ムスリム会議
東南アジア、南アジア地域の国々による赤道連合
オセアニア地域による大洋州連合
ソロモン諸島のオーブ連合首長国
の11の国家が誕生する。

ジョージ・グレンの告白
C.E.15年、ファーストコーディネイターであるジョージ・グレンが自身が設計した大型宇宙探査船で木星へ旅立つ直前、今迄の自らの成功が自らが遺伝子を改造された者だから出来たと言う事を暴露し、コーディネイターの製造方法を世界中にネットワークを通じて公開した。

「人類の遺伝子改変に関する議定書」採択
C.E.16年、地球連合の前身である国際連合が開いた「国連遺伝子資源開発会議」の議決により採択。以後、国際連合加盟国は本議定書の効力により、合法的にはコーディネイターを生み出す事が不可能となった。

「エヴィデンス01」発見
C.E.22年、ジョージ・グレンが、木星探査中に、明らかに地球のものでは無い生物の化石を発見。地球外生命体のエビデンス(証拠)とされている。ナチュラル、コーディネイター双方を問わず、特に生物学者達にとっては生物の進化の可能性を確信させる存在となっている。巨大なクジラのような骨格をしており、背中には翼に似た一対の間接部がある。その形状から、一般に「はねクジラ」、「クジラ石」、「天使」と呼ばれている。その後、エヴィデンス01は、プラントの首都アプリリウス市1区で観光資源として保管されている。人類が宇宙進出を進めるきっかけの一つとなったが、この生物の謎は未だに明かされていない。

また、この化石の発見が世界に与えた影響は計り知れず、エヴィデンス01の存在によって宗教の権威が失墜したとされる。ジョージ・グレン友の会やコロニー・リティリアの住民が、エヴィデンス01を偶像化している一方で、ブルーコスモスからは、破壊すべき対象として狙われている。 そのほか、『機動戦士ガンダムSEED ASTRAY R』では、地球の海に羽根が生えたクジラが泳いでいる姿が登場する。

黄道同盟 結党
C.E.50年、パトリック・ザラ、シーゲル・クラインらプラントのL5コロニー建設に従事してきたコーディネイターの有志によって、プラントの自治権、貿易自主権を求める政治結社「黄道同盟Zodiac Treaty」が結党される。食料生産制限撤廃と自衛権獲得を求める活動も開始。

S2インフルエンザ流行
C.E.54年、S型インフルエンザの突然変異により発生し従来のワクチンが無効なS2型インフルエンザの流行が始まり、多数の死者を出す。ナチュラルに多数の死者が出たのに対して、コーディネイターの死者はゼロだった。

このため、S2型インフルエンザウイルスの蔓延は、コーディネイターがジョージ・グレン暗殺の報復及びナチュラル殲滅のためにおこなった作戦であるという噂が広まった[1]。この噂が結局、真実であったのかデマゴギー(=政治的に流された嘘)であったのかについては明らかでない。

C.E.55年10月29日、プラントのフェブラリウス市、S2型インフルエンザのワクチン開発に成功。増産のうえ地上への供給開始。しかし、重篤疾病を罹病することを知らぬがゆえ薬学ノウハウがナチュラルより遅れているはずのコーディネイターが、新型ウイルスのワクチンをあっさり作れてしまったことが、かえって一部ナチュラルからの疑念を煽ってしまったという。ナチュラルの反コーディネイター感情は収まらず、在地球コーディネイターのプラント移住が本格化する。

C.E.58、後に議長となるシーゲル・クラインとパトリック・ザラ、プラント評議会議員に初当選。同時に、黄道同盟の党勢拡大も進める。

ザフト創建
C.E.65年、プラント最高評議会の政権与党、黄道同盟がさらなる党勢拡大のうえ発展する形で、自由条約黄道同盟ZAFT(ザフト)が改めて結党された。同時に、史上初のモビルスーツ「プロトジン」初号機が秘密裏にロールアウト。

C.E.68年、シーゲル・クライン、プラント最高評議会議長に就任。

同年、マンデンブロー事件でナチュラルから受けた被害をきっかけに勢いづくパトリック・ザラは、純然たる政治結社であった既存のZAFTを解体再編しプラント内の警察保安組織と合併、モビルスーツを主戦力とする軍事組織でもあるZAFTが新たに創立並びに建軍された。

同年、L4コロニー「メンデル」で大規模なバイオハザードが発生し死者多数。同コロニーは無人となりX線照射消毒が図られる。ユーレン・ヒビキ博士が勤務していたGARM R&D社倒産。L4コロニー「メンデル」にあった同社所有の研究所施設は放置状態に。

L5宙域事変(仮称)
C.E.69年、シーゲル・クラインの指示により、プラントはユニウス市の7?10区(ユニウス7〜10コロニー)を穀物生産プラントに改装し食料生産を開始。これに対しプラント理事国は実力を行使してもこれを排除すると勧告しプラントに対し威嚇行動に出る。ザフトはこれに対抗する形で史上初の戦闘用MSジンを実戦投入する。圧倒的少数でありながらプラント理事国のMA部隊を圧倒し、L5宙域に駐留していたプラント理事国の宇宙軍を排除する事で、その有効性を世界に見せ付けた。対して、大西洋連邦軍のデュエイン・ハルバートン大佐は、地球軍も独自のモビルスーツを開発するよう提唱する。

以降、L5宙域はザフトを有するプラントが実効支配する事になった。

コペルニクスの悲劇
C.E.70年2月5日、緊張が高まるプラントとプラント理事国の間で交渉がもたれる事になっていた(月面会議)が、爆弾テロ(犯人の詳細は不明)により会議参加予定の地球側理事国の代表者と、国際連合事務総長を含む国際連合首脳陣が死亡した事件。

なお、同じく会議に参加する予定であったプラント代表のシーゲル・クラインは、シャトルの故障により到着が遅れていたため難を逃れた。

アラスカ宣言
C.E.70年2月7日、大西洋連邦、「コペルニクスの悲劇」をプラント側によるテロと断定、同時にこれを地球各国及びナチュラルへの宣戦布告と見なすと発表。先の事件によって崩壊した国連に代わる新たな国際調停機関として地球連合が設立された。

ヤキン・ドゥーエ戦役(C.E.70-72)
人類史上初の地球と宇宙、そしてナチュラル陣営とコーディネイター陣営を分けた大規模な戦争。最大の激戦地であり、最後の決戦の地となった宇宙要塞ヤキン・ドゥーエの名を取ってこう呼ばれる。英語版ではBloody Valentine War(血のバレンタイン戦争)となっている。

開戦
C.E.70年2月11日、地球連合がプラントに宣戦布告。月面プトレマイオス基地から地球連合軍の宇宙艦隊出撃。この際、モビルアーマー母艦「ルーズベルト」に、とあるブルーコスモス派将校の独断で極秘に1発の核弾頭ミサイルが持ち込まれた[1]。

血のバレンタイン
プラントの農業用コロニー「ユニウスセブン」が、地球軍側MAの放った核ミサイルにより壊滅した事件。C.E.70年2月14日の聖バレンタインデーに起こったため、血のバレンタイン事件と呼ばれる。

C.E.70年2月14日、ザフト、地球軍プトレマイオス基地艦隊及び艦載モビルアーマー「メビウス」部隊の攻撃をモビルスーツ部隊によって迎撃し、これらを殲滅する。しかし、「ルーズベルト」に1発持ち込まれていた核ミサイルを搭載して発艦した「メビウス」だけは攻撃行動に成功し、これがユニウス7に命中した。

これにより、パトリック・ザラ国防委員長の妻レノアを含む24万3721名の人々が犠牲となった。地球軍側はこれを、プラント側の「自爆作戦」と批判している。

核弾頭の持ち込みが一将校の独断で秘密裏に行われた事であったうえ、ザフトMS部隊が圧倒的戦闘力で地球軍側を殲滅させたにもかかわらず、たった1発しかない核弾頭とその搭載機だけが攻撃に成功したことによる。地球側はこれを、ザフトが殉教者を作るために確信犯的におこなった防御サボタージュと解釈した。また、プラントの事実上の国軍であるザフトは、建前上ではあるが民兵組織であるため、この犠牲者が非戦闘員であるのかないのかの明確な区別が非常に難しい。後日、本件の殺戮の正当・不当に関し、両陣営の主張が食い違う元となっている。地球連合軍はこの事件自体をザフトの自作自演としてる。

以降、地球連合軍とザフトの戦争は地球圏全土を巻き込む大戦へと拡大する事になった。地球連合軍の宣戦布告は3日前の2月11日に正式にされているのだが、「機動戦士ガンダムSEED」第14話でラウ・ル・クルーゼがモノローグで解説するところでは、本件が「この戦争の直接最大原因」とされている。

南アメリカ侵攻
C.E.70年2月18日、プラント最高評議会議長シーゲル・クラインによる、地球連合非参加国には優先的に物資を提供する「積極的中立勧告」の声明を非プラント理事国である大洋州連合と南アメリカ合衆国が受諾した

これを受け地球連合は翌2月19日、南アメリカ合衆国に武力侵攻を開始、パナマ宇宙港を軍事制圧し南アメリカ大陸を大西洋連邦に併合した。これは、マスドライバーによる宇宙からの補給が滞ることを恐れた大西洋連邦が、武力をもって阻止するための侵攻であった。

なお、このさらに翌20日、大洋州連合は地球連合軍の中南米侵攻を批判すると共にプラント支援を表明し「親プラント国家」になった。同日、地球連合軍は大洋州連合に対し宣戦布告を行った。

世界樹攻防戦
血のバレンタインから約1週間後のC.E.70年2月22日、地球連合軍の月への橋頭堡であるL1のスペースコロニー「世界樹」で起きた地球連合軍とザフトの攻防戦。

地球軍はこの戦いに第1?第3艦隊を投入し、ザフトと激しい戦いを繰り広げた。なお、この時に核分裂抑止能力を有する「ニュートロンジャマー」が試験投入され、成果を上げている。戦闘そのものには双方が拮抗し、両軍ともに大きな損害を被るが、最終的に「世界樹」は崩壊し、デブリベルトの塵と化した事で戦闘は終息した。

この攻防戦においてジンで出撃したラウ・ル・クルーゼは、MA37機、戦艦6隻を撃破し、ネビュラ勲章を授与されている。

第一次ビクトリア攻防戦
C.E.70年3月8日。ザフトの地上侵攻戦(食糧確保の目的もあり)初の軌道上からの地上降下作戦としてビクトリア湖を干拓して造られた宇宙港とマスドライバー施設「ハビリス」に侵攻した戦闘。

作戦は地上戦力の支援が無かったためにザフトの敗退に終わり、これを踏まえプラント最高評議会では「オペレーション・ウロボロス」を立案、採択された。

エイプリル・フール・クライシス
ザフトは第一次ビクトリア攻防戦の失敗を考え、

「地上での支援戦力を得るための軍事拠点を確保」
「宇宙港やマスドライバー基地制圧による地球連合軍を地上に封じ込める」
「核兵器、核分裂エネルギーの供給抑止となるニュートロンジャマーの散布」
の3つの柱からなる赤道封鎖作戦「オペレーション・ウロボロス」を立案する。C.E.70年3月15日、プラント最高評議会で可決され、4月1日に発動した。また、採決と同時にプロパガンダ的な意味を込めシグー、ディン、バクゥ、ザウート、グーンなどの複数の新型MSも公開し、全世界に発表された。

対戦国中立国に関らず、無差別に散布され地中深くに埋め込まれたニュートロンジャマーの影響から、以後ザフト、地球連合軍の双方のみならず全地球上で核分裂装置の使用が不可能となり、この影響で核分裂炉の原子力発電をエネルギー供給の主としていた地球上の各国家は、それが使用不可能となり、地球全土で深刻なエネルギー不足が問題になった。これにより地球上の国家は多数の餓死者、凍死者(ニュートロンジャマーキャンセラーによってエネルギー不足解消までの被害者は二次的、三次的被害を含めると地球の総人口の1割近くに相当するとの資料あり。少なくとも数億人の死者が出たと思われる。)を出す事態となり人々の反プラント、反コーディネイター感情は最高潮となる。

一方、宇宙の戦場においても、宇宙艦艇が必要に応じて発動するので核兵器の使えない限定戦争になっている。また、その副産物として電波妨害を引き起こし、長距離通信が不可能になったりレーダーも錯乱されてしまい、使用したザフトも様々な支障を来すことになる。地球連合軍が使用していた電波誘導式ミサイルも用を成さなくなってしまい、MSを有するザフトが戦争の主導権を握る事になった。

カーペンタリア制圧戦
C.E.70年4月2日、前日のエイプリル・フール・クライシスの混乱に乗じ、ザフトはオーストラリアのカーペンタリア湾に軌道上から基地施設を分割降下させ、48時間でカーペンタリア基地の基礎を建設する。

作戦上は制圧戦だが、実際には大洋州連合側から無償で土地が提供されていた。この時、地球連合軍の太平洋艦隊が迎撃に出たが新型機ディンの前に大敗し、基地は翌月の20日に完成した。

第一次ヤキン・ドゥーエ攻防戦
C.E.70年4月17日、地球連合軍第5、第6艦隊がプラント本国を目指し月面プトレマイオス基地より侵攻する。プラント管理下の資源衛星ヤキン・ドゥーエ付近にて、迎え撃つザフトと交戦を行った。

これによりプラント最高評議会は、本国防衛の点から、ヤキン・ドゥーエを防衛要塞に改装する事を決議した。

2009年02月03日

大江(おおえ)氏は古代から近世の貴族

大江(おおえ)氏は古代から近世の貴族。源、平、藤原、橘と同じく姓(本姓)であり、苗字ではない。
ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

古代の氏族である土師氏が源流とされる。桓武天皇が即位10年となった延暦9年(791年)に、縁戚関係にある土師諸上らに大枝の姓を与えた。

平安時代
866年には大枝音人が姓を改め、大江音人となる。大江氏には優れた歌人や学者が多く、朝廷に重く用いられた。中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江氏から大江千里,大江匡衡,大江嘉言,女性からは和泉式部,赤染衛門らが選出されている。大江匡衡の孫に平安時代屈指の学者であると共に河内源氏の源義家(八幡太郎義家)に兵法を教えたとされる大江匡房がいる。

鎌倉時代
1184年に河内源氏の棟梁の源頼朝に仕えた大江広元は大江匡房の孫であり、頼朝の覇業を内政面で支える。頼朝が鎌倉幕府を開くと、広元は幕府の中枢にまで昇りつめた。このことから大江広元の系統は、武家の大江氏として毛利氏をはじめとする武家の祖となる。

1247年に大江広元の四男の大江季光(毛利季光)が、鎌倉幕府に対し謀反を起こした三浦泰村に味方したため、武家大江氏の嫡流は衰退する。

その後
大江広元の後裔は各地方で武家として活躍。その末裔に以下がある。

安芸国出雲国の毛利氏
三河国の海東氏,酒井氏,芦澤氏
越後国の越後北条氏,安田氏
出羽国の寒河江氏,長井氏
上野国の那波氏
また、広元の兄匡範の子孫は宮廷官人として残り、室町時代後半からは北小路を称し、江戸時代は地下家として3家(蔵人2家、近衛家諸大夫1家)を輩出した。この内、代々蔵人を勤めた2家は江戸時代後期の弘化4年12月17日(1848年1月22日)堂上家(半家)に列せられた(最後の堂上家昇格)。

略系図
       大枝諸上
         ┃
        本主
         ┃
        音人
         ┣━━━┳━━━━━━━━━━━┳━━━┓
        公朝  玉淵          千里  千古
         ┃   ┣━━━┳━━━┓   ┃   ┣━━━┓
        清忠  朝典  朝衡  朝綱  維繁  維明  維時
         ┣━━━┓       ┃       ┃   ┣━━━┓
        如鏡  成通      清胤      仲宣  重光  斉光
         ┃   ┃               ┃   ┃
        忠度  成利              嘉言  匡衡
         ┃   ┃                   ┃
        師季  行職                  挙周
         ┣━━━┳━━━┳━━━┓           ┃
        清俊  通友  盛俊  盛賢          成衡
         ┃                       ┃
        通清                      匡房
         ┣━━━┳━━━┓               ┃
        通賢  通成  通能              維順
                                 ┃
                                維光
                     ┏━━━┳━━━┳━━━┫
                    匡範  時房  親光  広元
             ┏━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┫
            季光    忠成    親広   宗元   時広
             ┃    ┃    ┃    ┃    ┃
          「毛利氏」「海東氏」「寒河江氏」「那波氏」「長井氏」
          「北条氏」「酒井氏」
          「安田氏」「芦澤氏」

大江氏の末裔とされる有名人
毛利元就
桂小五郎 
桂太郎
長井雅楽

2009年01月20日

管楽器を主体として演奏される音楽の総称

吹奏楽(すいそうがく)は、もっとも広義には、管楽器を主体として演奏される音楽の総称。一般には、ヨーロッパの軍楽隊およびアメリカのスクールバンドの編成、すなわち西洋の木管楽器・金管楽器を主体とし、打楽器やその他を加えた十数人から100人程度の編成で演奏される音楽を指す。軍隊や国民の士気を鼓舞するためのものなどの実用音楽として発達したが、今日では、音楽ホールにおける演奏会や、マーチングバンドなどの活動が中心となっている。日本では自衛隊や消防・警察・海上保安庁などの公的な機関に属する音楽隊のほか、学校・職場・地域などを基盤としたアマチュアの吹奏楽団の活動が盛んである。

「吹奏楽」は、字義通りには、「吹いて奏する音楽」であり、演奏に用いられる楽器の発生方法、あるいは演奏主体の編成によって定義される。実態としても、軍楽隊やアマチュアの吹奏楽団では、吹奏楽編成のための楽曲だけではなく、有名曲の編曲版を演奏することがしばしば行われている。したがって、冒頭で述べた通り、もっとも広義には管楽器を主体として演奏される音楽の総称とすることが適当である。

狭義の吹奏楽団としては、主に西洋管楽器によって十数名から100名ほどの規模で編成された楽団で、木管楽器と金管楽器の双方を含み、打楽器がこれに加わる。管打楽器以外では、コントラバスが加えられることは多く、楽曲によってチェレスタ、ピアノなど鍵盤楽器、ハープ、チェロのほか電気楽器を加えることもある。多くの国では軍楽隊のほか、消防や警察など公的な機関に属する楽団が中心だが、日本とアメリカでは学校などのアマチュア吹奏楽団が圧倒的に多い。1900年前後には、ギルモアやスーザの楽団のような、職業的吹奏楽団が活躍したが、今日ではほとんど見られなくなっている。また、イタリアにはバンダと呼ばれる民間の吹奏楽団がある。

これよりもやや広い意味での「吹奏楽」としては、イギリスなどでは英国式ブラスバンドがアマチュアの間で結成されている。フランス、ドイツ、ベルギーなどにも、町や村の金管バンドが存在する。また、ジョヴァンニ・ガブリエーリによるファンファーレや18世紀以前の管楽器を中心とした楽曲、ハルモニームジークなど室内楽的な管楽器による合奏も吹奏楽の一部をなす。これらの音楽は、しばしば管楽として区別される。

広義の「吹奏楽」に含まれるもののうち、管楽器独奏、またポピュラー音楽に属するもの、東欧の結婚式の楽団など、ヨーロッパの軍楽隊の影響を受けているか否かを問わず民俗音楽的なものについては、通常「吹奏楽」には含まれない。これらについては、本項では詳述しない。

「吹奏楽」の語は、開国後日本では陸海軍の軍楽隊が西洋音楽を演奏する合奏組織として式典などで演奏していたのに対し、日清・日露戦役のころに西洋管楽器で編成された楽隊が民間にも多く現われた際に、軍楽隊による音楽と区別するために普及したとされる。その後、軍楽隊が管弦楽の演奏もはじめたため、大正期には軍楽隊の演奏も「吹奏楽」に含むことが定着した。昭和初期には学校・職場のアマチュア吹奏楽団は「ブラスバンド」という呼び方も一般化するが、太平洋戦争に突入するころには「吹奏楽」を積極的に用いるようになる。戦後になると「ブラスバンド」の語も復活するが、昭和30?40年代には学校・職場のアマチュア吹奏楽団がアメリカのスクールバンドを参照するようになり、行進など実用的な目的ではなく、コンサートなどでの演奏を重視するようになった。「吹奏楽」の語の用法としても、このような変化を重視する傾向がある。

他言語としては、ドイツではBlasmusik(「吹く」の語幹と「音楽」)があり、フランスではharmonieが用いられる。「吹奏楽団」を指すものとしては、ドイツではブラスオーケスター、ブラスカペレ、ブラスバンドなどがあり、フランスではムジーク・ダルモニーやファンファーレ、イタリア・スペインではバンダが用いられ、東欧諸国ではファンファーレ、ファンファーラ、オーケスターなどが用いられることがある。
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

英語では、bandのみで吹奏楽団を指すこともあったが、ロック・バンド、ジャズ・バンドが一般化するに従って、区別する必要がでてきた。また軍楽隊以外にも、military bandを用いることがある。イギリスでは民間の吹奏楽団は独自の金管楽器による編成で発達したため、brass bandの語が用いられた。ちなみにbrass bandは「金管楽器で編成されたバンド」の意味であり、厳密に言うと吹奏楽の事を「ブラスバンド」というのは間違いである、と言う意見もある。しかしアメリカでも金管楽器が中心の編成が多く、brass band、silver bandなどの語が用いられたほか、territory band(地域の楽団)、service band(軍楽隊の代用として活動したため)、school band(学校の楽団)などが使われている。軍楽に類する演奏以外を示唆するものとしては、concert bandがあり、近年ではwind band、wind orchestra、symphonic bandの使用が増えており、吹奏楽に対応する語としてはwind musicが用いられるようになっている。なお、wind ensembleは、独自の編成を指すものとして区別されるが、演奏団体の名称などでは本来の編成が守られていないことも多い。

吹奏楽は、戦時の信号、式典などでの音楽など野外での演奏、室内でも食事などでの実用的な機会での演奏を担うものとして発達したが、特に19世紀以降、バルブの発明など楽器の操作性向上や価格の低廉化が進み、兵器の発達により軍楽隊の活動が戦場での演奏ではなく戦意高揚や慰安などのための演奏に移行したこと、野外コンサートが開かれるようになり多くの聴衆を集めるようになったこと、アマチュアの演奏団体が管楽器を中心とした編成で結成されたことなどによって、階級を超えて広がっていった。こうした状況は同時に、行進曲のほか、オペラの抜粋や軽音楽など既存の楽曲を編曲して演奏することを一般的にした。現在でも日本のアマチュア吹奏楽団の演奏会では、オーケストラ作品や流行曲の吹奏楽アレンジなどが演奏されており、編曲作品は「アレンジ曲」、特に吹奏楽編成のために作曲された楽曲は「(吹奏楽)オリジナル作品」と呼ばれて区別される。また、東欧諸国ではオスマン帝国占領下で軍楽隊が組織され、西欧諸国の軍楽隊は植民地に派遣され現地にも設置されたため、西洋風の軍楽隊は世界各国で存在するほか、従来の文化と混ざり合って独自の発達をしていることも多い。

実用に供する音楽として発達し、歴史的にも様々な立場に位置づけられてきたこともあって、「吹奏楽」が包摂する内容は極めて多様となっている。さらに、アマチュア吹奏楽団が圧倒的多数を占めることによって、吹奏楽編成のための楽曲だけでなく有名曲の編曲が重用され、演奏技術や楽団の運営など教育的な側面が強調される傾向もあって、吹奏楽の包括的な記述は困難であり、またその研究は十分に進んでいるとは言い難いのが現状である。