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2009年09月 アーカイブ

2009年09月03日

中国料理では

中国料理では、食材に関しては食べ物の制限は殆どないに等しいとされるが、海の魚、とりわけ生魚は食べないともされる。

中国の食文化を表す場合、次のように例えられることがある。空を飛ぶものは飛行機以外、水に泳ぐものは潜水艦以外、二本足のものは人間以外、四本足のものはテーブル以外、全てを食べる(という内容の記述が開高健「最後の晩餐」にあったと記憶。要確認)。これは中華料理の多様性を示すものであることは言うまでもない。

重慶では猫肉料理があり、古来からの伝統として華南では犬肉や蛇を食べることもある。

モンゴル人の場合、その調理法に家畜の全てを利用するところで制限を受ける。

これは外部とのかかわりが薄い遊牧生活を続けるうえで、多くの物を自給する必要性があるからである。屠殺の方法として、血を一滴たりとも地面に落としてはならないそうである。

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チベットの場合、家畜(山岳地帯のためにヤクという牛の仲間がいる)は、荷物の輸送やバター(バターティーを飲む習慣がある)を作るための乳を提供するために必要であった。

その一方で、冬が訪れる前には羊やヤクをつぶして大量の干し肉を作り、冬に備える。冷涼な山岳地帯ゆえに、食肉として適用できる家畜が限定されてきたという事情は十分に考えられるが、とくに禁忌とするものの話は寡聞にして聞かない。

2009年09月18日

共産党は綱領で当面は単独政権ではなく

共産党は、綱領で当面は単独政権ではなく、「統一戦線の勢力」と協力しての「民主連合政府」を目指すとしている(#「民主連合政府」構想)。しかし、現在の野党に、「統一戦線の勢力」として協力できる相手は存在しないというのが現状認識である。

民主党は、小沢一郎が代表になってからは、小沢が共産党との協力の可能性に言及する変化も見られるが、選挙では実態として、両党の協力はほとんど行われていない。なお、2007年参院選後、2007年9月の首班指名選挙では共産党は参議院の決選投票では直近の民意を重視し、小沢一郎に投票している。なお、小沢一郎は1993年に自民党を離党するまで有力派閥田中派及び竹下派の有力人物であり自由民主党幹事長を経験するなど政権中枢の中心人物であり、当時は日本共産党は小沢一郎と大きく対立していた。

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2008年9月、麻生内閣が発足に伴い、総選挙への総決起体制として第7回中央委員会総会を開いた。席上で志位委員長は、「働く貧困層」の解消など、自党の語ってきた問題が争点になっていること、自公政権が行き詰まっていること、しかし民主党は自民党の政治悪をただす立場にはないから、共産党の躍進が必要であることなどを述べた。また、「民主連合政府」が求められていることを強調したが、現時点で他党との協力はないという認識は変わっていない。ただし、国会では是々非々で「問題ごとに協力していく」としている。また、総選挙体制のため中央委員会は、2009年1月に予定していた党大会の延期を決定した。

2009年09月28日

越中褌

越中褌(えっちゅうふんどし・越中ふんどし)とは、ふんどしの一種。長さ100cm程度、幅34cm程度の布の端に紐をつけた下着である。一部ではクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれている。医療用の下着であるT字帯も越中褌の一種。禊(水行)の時に使われる場合が多い他、一部の裸祭りでは六尺褌に代って、こちらが使われる場合がある。

名前の由来には越中富山の置き薬の景品で全国に普及したことに由来する説や、越中守だった細川忠興が考案者とする説など、複数の説がある。
江戸時代にも存在していて、隠居した武士、肉体労働を伴わない医者や神職、僧侶、文化人、商人の間で用いられていた。
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越中褌が本格的に普及したのは明治末期頃から。1873年(明治6年)に徴兵令が制定され、1889年(明治22年)に国民皆兵が義務付けられ、徴用された成人男子に軍隊が官給品として支給(貸興、給興)し、使用を強制したことで一般化するようになった。兵役除隊後、前垂れが陰部を隠し、軽くて清々しいとの使用感や、着脱が容易で布の使用が少ない経済性もあり、若者を中心に全国に普及した。それまでの六尺褌に代わり日本人成人男性の主な下着に代わった。
越中褌は簡易なものであることから、戦前では市中で販売されるよりも自家で縫製して使用するものが多かった。

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